©一般財団法人神戸観光局

歴史のはじまりは
湯女でした。

日本の最古泉・有馬温泉に兵庫県内で唯一残った芸妓文化。
その昔、湯女(ゆな)として生まれ、踊り、長唄、小唄、お囃子など
数々の伝統芸を伝承しながら、今もなお歴史を刻み続けています。

©一般財団法人神戸観光局

有馬芸妓の歴史

有馬ではかつて温泉客の世話をする人々を「湯女(ゆな)」と呼んでいました。1883年(明治16年)、その呼称は温泉浴場を洋館に建て替えた際に廃止され、以来、湯女は「芸妓」となっていきます。
全国の温泉地にいる芸者さんのルーツも湯女と言われますが、有馬は日本で最も歴史のある温泉地で史料もたくさん残っています。
1596年に起きた慶長伏見の大震災で有馬温泉は壊滅し、豊臣秀吉は復興策の一つとして湯女に禄高(ろくだか)を与えました。それは徳川三代まで続きました。今でいう国家公務員のような存在です。
江戸中期、人々の往来が自由になると、有馬を紹介する旅本が発行され、「有馬千軒」と呼ばれて賑わいます。その時に土産物として人気を博したのが湯女の浮世絵。現代のスターのような存在だったそうです。
有馬で湯女という言葉が史料に登場するのは室町時代からですが、実はそれ以前からいた可能性もあります。語源とされるのは「湯維那(ゆいな)」で、寺の浴場管理をする人をそう呼び、平安時代にまつりごとを占いで決める際に場を盛り上げる踊り子の呼び名だったという説もあります。有馬が奈良時代から天皇が行幸する温泉地であったことを考えると、どちらも有馬が関係していたかもしれません。

有馬温泉の年中行事

毎年、1月2日に行われる入初式では、有馬芸妓の扮する湯女が古式豊かに湯もみ行事を行います。4月上旬のさくらまつり、7月中旬の芸妓の浴衣会、7月下旬~ 8月中旬の涼風川座敷などで芸妓の舞い踊りをご覧いただけます。8月上旬の夏祭りでは、芸妓と一緒に踊りを楽しんでいただけます。

©一般財団法人神戸観光局

有馬検番と田中席

検番とは置屋をまとめる組合のことで、置屋とは芸妓が所属する事務所のような存在です。
現在、兵庫県内に唯一残る最後の検番が「有馬検番」です。昔、有馬温泉の置屋は15軒ありましたが、阪神淡路大震災を契機に減少。現在は「田中席」が最後の置屋になり、有馬検番と田中席を合わせて「有馬検番・田中席」と名乗っています。
「有馬検番・田中席」は現役芸妓である一七四(ひなよ)が運営し、有馬の現役芸妓全員が所属。歴史ある芸妓文化を後世に残すため、日本舞踊、長唄、小唄、お囃子(太鼓、鼓、大鼓)など伝統芸の稽古に精進しています。
2015年には有馬検番1階を常設舞台のあるカフェバーにリニューアルし、「芸妓カフェ 一糸(いと)」としてオープン。現役の芸妓が常駐し、敷居の高いイメージがあった芸妓の踊りやお座敷遊びを楽しめる場として、家族連れやカップル、外国人など多くの観光客が訪れています。

©一般財団法人神戸観光局